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2022年11月20日聖日礼拝説教要旨

聖書箇所 使徒行伝15章1節~11節     

     「律法ではなく、聖霊による救いの恵み」  
 
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」
(ヨハネ福音書15章5節)

「この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである」 (エペソ1章14節)

「人の義とされるのは…律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。」
(ガラテヤ書2章16節)

 

 パウロとバルナバは「第一回伝道旅行」で迫害や石打ちに遭いましたが、その地に戻って、誕生した教会を再び励まし、その教会に立てた長老たちと生まれたばかりの信徒たちを、主イエス様の「守りと支えと恵みの御手」に委ねて、元来た道を「シリヤのアンテオケの教会」に向けて帰りました。そこで、「第一回伝道旅行」で神様が共にいて与えてくださった数々の恵みや「信仰の門を異邦人に開いて下さった」こと等の数々の証と報告をしました(使徒14章後半)

 ところが、その「アンテオケ教会」で事件が起こりました(15章1節)。「四福音書」や「使徒行伝」に時々出て来ますように、ユダヤ人たちは、「異邦人」と呼ばれる外国人については、「主なる神様の前に汚れている罪人」と思っていましたので、一切付き合うことなく、食事も一緒にすることはあませんでした。ところが、「アンテオケの教会」では、ユダヤ人と異邦人が何の「区別」も「隔て」もなく、主イエス様の十字架の福音を信じて救われ、主にある兄弟として食事を共にし共同の生活をしていました。

 そこで「ユダヤのエルサレムの教会」のクリスチャンたちは、「アンテオケ教会」の「とんでもない状態」を正そうとして、「アンテオケ」に下って来たのでした。そして、「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と主張したのでした。「モーセの慣例」に従うとは、ユダヤ人の印として体に印をつけるだけでなく、旧約聖書に記されている「モーセの律法」に従って、「あれを食べてはいけない」「これを食べてもいけない」また、「手を洗いなさい」「身体を洗いなさい」「祭りのやり方はこうで、必ずこうしなさい」等のたくさんの戒めに従って「ユダヤ人のように生活する」ことでした。

 そこで、パウロ達は「アンテオケの教会」も「エルサレムの教会」も同じ「キリストの教会」なので、両方の教会の代表が集まってどうしたらいいか、話し合うためエルサレムに向かいました(15章2節)。その途上「ピニケ(フェニキヤ)、サマリヤを通って…すべての兄弟たちを大いに喜ばせた」とあります(15章3節)。この「すべての兄弟たち」とは、「ステパノの石打ちの殉教」から始まって初代キリスト教会に対して大迫害が起こり、使徒たち以外の信者全員がエルサレムの都を追われて、ユダヤとサマリヤとピニケやアンテオケまで「散らされて行った人たち」がありました。彼ら(「すべての兄弟たち」)は「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」伝道で救われた人々です(使徒行伝8章1節、4節、5節)。

 そのような「行き当たりばったりの伝道」でしたが、途中の町々村々にはいくつもの教会が出来ました。そして、その地に出来た教会には生命が伝わったので「グングン」育ち、「恵まれた兄弟たち」となったのでした。主イエスを信じて、生命に与っている人々は「実を結び」ます(ヨハネ福音書15章5節)。パウロとバルナバは、これらの教会で「異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた」のでした(使徒15章3節)。

 目的のエルサレム教会に到着しますと、パウロ達は「教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、(第一回伝道旅行で)神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告」しました。ところが、ここでもパリサイ派から信仰にはいってきた人たちが「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張しました(15章4,5節)。その当時のキリスト教会にとって、「異邦人クリスチャン」にもユダヤ人と同様に割礼を施し「モーセの律法を守らせるべき」がどうかが、「最大の問題」でしたのでした。

 それは「喧々諤々(けんけんがくがく)」の大争論となりましたが、この審議の結果でキリスト教が全ての時代の全ての人々を救う「世界宗教」になるか、それとも「ユダヤ教の一派」で終るかの「分かれ目」となる「大切な争論」だったからです。もし、ここでユダヤ人クリスチャンのいうように、「モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」とか「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」という事が正しとなれば、私達日本人もまた世界の殆んどの人々もキリスト教とは関係がなくなり、救われる人もなかったでしょう(使徒15章6節)。

 そこで、「激しい争論」が続いた後、主イエス様の一番弟子で初代キリスト教会の代表者の「ペテロ」が立ちました。そして彼が、初めてユダヤ人以外の「異邦人」に伝道して、その人々が鮮やかに救われた出来事について語りました(15章7節、8節、9節)。その出来事は、ペテロが、まったくの異邦人のローマの百卒長(百人隊長)とその家族に、「主イエス様の十字架と復活の福音」を語ったところ、主なる神様の鮮やかな「救いの御業」が起こされたことでした。「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだっ」て、彼らは異言を語って神を賛美していたのが聞こえたのでした(10章43節~48節)。それは、「ペンテコステの日」にペテロを始め120人のお弟子達に「聖霊」が降ったのと同じ有様でした(使徒2章1~4節)。

 このように、異邦人も主イエス様を信じるだけで救いの徴の「聖霊」を受けたことで、主なる神様は「その信仰によって彼らの心をきよめ・・・(ユダヤ人と異邦人の間に)なんの分けへだてもなさらなかった」(15章9節)のでした。この「聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るため」(エペソ1章14節)のものでした。

 この時、異邦人も主イエス様を信じて「聖霊」を受けたのですから、異邦人に割礼やモーセの律法を守らせる必要はなかったのです。ただ誰もが、救い主イエス様を信じる信仰だけで義とされ、救われるのです(ガラテヤ人への手紙2章16節)。このことが「世界標準」となり、キリスト教が「世界宗教となる原点」となりました。

 ユダヤ人であるペテロですら、「律法」は「負いきれなかったくびき」であり、罪を悔いて救い主イエス様を信じて救われるのです。これは、「彼ら(異邦人)とても同様である」と、ペテロは語ったのでした(使徒15章10、11節)。その言葉には何人も抗しがたい「重み」と「説得力」があり、「世界宗教のキリスト教」への道が開かれたのでした。

                   2022年11月20日(日) 主日礼拝説教要旨 竹内紹一郎