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2022年9月11日聖日礼拝説教要旨

   わたしの愛のうちにいなさい


『父(神)がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたし(イエス・キリスト)の愛のうちにいなさい』
                          (ヨハネ福音書十五章九節)


あるとき「あなたの好きな言葉を一つ選びなさい」というアンケートをとったところが、多くの人が愛、幸福、平和といった言葉を選んだそうです。そして、その中でも最も多かったのが「愛」という言葉だったと報告されました。それは、愛は人間が幸せに生きるためにはなくてならぬ大切なものだからです。

 

「人はいつまでも誰かに愛されたい」、また「だれかを愛したい」ものです。この愛がなければ人生は虚しいものです。若い年頃の娘さんがある日、突然に「おや」と思うほど光り輝いて綺麗になることがあります。そんなときはたいてい好きな人、愛する人ができたときです。それほど愛は人に生きる希望を与えるものです。

 

どんなにこの世的なものに満たされていても、経済的に豊かになっても、愛がなければ虚しいものです。北欧のある国で、独り暮らしのお婆さんが自殺するという事件がありました。それを知った町の人たちは、その自殺のわけが理解できませんでした。その国は福祉行政が行き届いた国で、「揺りかごから墓場まで」と言われるほど福祉が充実した国でしたので、なぜ、そんなに死に急いだのか理解ができなかったのです。

 

ところが、お婆さんの荷物を整理していたとき、一冊の日記帳がみつかりましたので、その中を見ると、最後のほうは「今日も誰も来てくれなかった」と一行だけ書かれていたそうです。それを見て、お婆さんは孤独に耐えられなくて自殺をしたことが分かったのです。つまりお婆さんが欲しかったのは人からの愛だったのです。どんなに経済的に裕福でも、愛のない生活は虚しいものです。ですからイエスは「わたしの愛のうちにいなさい」と言われたのです。

 

しかし、人の愛はときとして虚しいものです。どんなに堅く愛していても事情や場合によって変わってしまうのです。ですから、こんな愛を信じていたら失望するだけです。しかし神の愛は「いつまでも変わらない愛」、普遍的愛です。

 

エレミヤ章三一章三節に、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」とあります。つまり神の愛は限りない愛で、たとえわたしたちが神に背を向けるようなことがあっても、ひとたび「お前を愛する」と約束されたら、どんな犠牲を払ってでも愛し貫いてくださるのです。この愛を信じ、支えとしてゆくなら、どんなときでも生きる勇気と希望があたえられるのです。

 

ある日、「この人を救ってください」と女子青年が、友だちを教会に連れてきました。そこで話を聞いてみると、「もう人が信じられなくなった」と言うのです。それでそのわけを聞くと、素敵な男性と婚約をしていましたが、結婚式まであと一カ月になる日に彼女の家で式の打ち合わせをしたそうです。その後、家族と一諸に夕飯をした後、彼をバス停まで見送りました。その帰り道、後ろから来たダンプカーに跳ねられ、救急車で病院に運ばれたときに、真っ先に駆けつけてきたのは婚約者の男性でした。ところが、頭の先から足の先まで包帯でまっ白に巻かれて、まるでミイラのようになった姿を見て、ただ呆然として一言も声をかけることも出来ず、間もなく病室から姿を消してしまいました。それ以後、いくら待っても姿を見せず、一カ月ほどして仲人さんが来て、言いにくそうに、「先方さんは、今度のご縁はなかったことにしてくれと言っている」と伝え坊向輝國たのです。「どうしてですか」と聞くと、「あなたの頬に傷があるから」という冷たい返事でした。しかも、その日は結婚式の予定の日だったのです。そんなことがあって女性は自暴自棄になり荒れた生活をするようになったのです。それを見てクリスチャンの友人が、「そんなことをしていたら駄目になってしまう」と、その人を教会に連れて来たことがわかりました。

 

そこでわたしは、さきのエレミヤ書のみ言葉を開いて、「人間の愛は裏切ることがあっても、神の愛は裏切ることがないから、神の愛を信じて生きて行くように」と話しました。それから熱心に教会に来るようになり、恵まれたクリスチャンとなりました。

 

では、わたしたちに注がれた愛とは、まずヨハネ福音書三章十六節に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。これは神の愛です。またヨハネ第一書三章十六節には、「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」とあります。これはイエス・キリストの愛です。この二つの愛に愛され支えられているのです。この二つの愛を信じて希望に満ちた人生を送りたいものです。
                                      坊向輝國